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思念No.002 契約不履行

 ヤラセと知りつつ、私は「ガチンコ!」という番組のチェックを欠かさない。その番組の中に、「ガチンコ晩餐会」というコーナーがある。これは、カップルがテーブルを挟んで食事をしつつ、日頃から相手に言いたいと感じていることを言い合う、というものだ。

カップルの会話の中心は、大概、相手の浮気に関する疑惑である。

「アンタさー、アタシに隠してることない?」
「ねーよ、別に」
「じゃあさ、最近携帯に電話かかってきたら、外に出ていくのなんで?」
「別にいいじゃねーかよ」
「じゃあ携帯のメモリ見せてもらっていい?」
「いや、ちょっと待ってくれよ」

こういう、お決まりのやりとりが繰り広げられ、最後にはどちらか(ないしは双方)の浮気が発覚して終了、というのがこのコーナーの黄金パターンだ。

私はこうしたやりとりを見る度に、いつも不思議に感じてきたことがある。婚姻関係にもない、基本的に自由な彼らが、互いの浮気を責め合うことに疑問をもたないのは何故なのだろうか、と。

 多くのカップルの間に一般に存在する、「原則として互い以外の第三者とは、同等もしくはそれ以上の関係を同時に結ばない」という暗黙の合意。この合意を反故にする行動が浮気だと言えるが、しかしながら、そうした一見自明であるかのような暗黙の合意は、一体どこから生じるものなのか。「浮気されると悲しいから」と言ってしまえばそれまでだ。しかし、人は自分の恋人に浮気をされると、何故怒りや悲しみを覚えるのかということを改めて考えた場合、即座には明確な答えが見当たらないことに気付く。私はガチンコ晩餐会での罵りあいを眺めつつ、そうした暗黙の合意の実体について次のように考えを巡らせた。

 そもそも恋人同士という関係は、利害関係のひとつと捉えることができる。即ち、相思相愛の状態というのは、好ましい相手を確保する欲求に関しての利害の一致を意味する。そして互いに、互いの価値を強く感じていればいるほど、その甘美な利害関係を維持したいという欲求は強くなる。

 では、そのような関係を維持するためには何が必要か。法の縛りも何もない、基本的に誰のものでもない相手を自分に強く結びつけておくには、相手が好ましく思う自分の属性(例えば、外見の美しさ、性格、才能など)のみに頼ることは危険である。何故ならば、それらは可変的で、特に性格などは相手との相互作用の結果、相手の好ましくない属性に変化しないとは言い切れないためだ。相手を確保しようとする際は、それらの不安定な要素に加え、人間が根源的に求めてやまないものを提供することが必要となってくる。結論から言えば、私はそれを「存在価値の継続的な保証」であると考える。

 どんな人間でも、自らの存在価値を認識せずに生きてゆくことは難しい。そして、誰もが自らの存在価値が傷つくことを無意識に恐れ、何とか避けようと試みる。自らの存在価値の揺らぎは、社会的動物である人間にとって本能的な恐怖であり、逆に、存在価値の明確な認識は、人間に多大なる精神的快楽をもたらす。特に、自分が価値を感じる相手にとって、自分が唯一の特別な存在であると認識する時、人は自らの存在価値を強烈に確認することができる。

 好ましい相手を自分だけのものとして確保しようとする時、人はその快楽を無意識に利用していることが考えられる。どういうことか。例えば、交際を申し込む時の

「私と付き合ってください」

という意思表示は、本来自由な人間の行動や選択を拘束しようとする意図があるという、ある意味傲慢な宣言である。しかし、その宣言の中には「私はあなたの存在価値を唯一のものとして絶対的に認めている」という意味が明らかに含まれている。このことは、付き合ってくれと言われた側に程度の差はあれ快楽をもたらし、傲慢さを幾分緩和する作用をもつ。

 なおかつ、「付き合ってください」という言葉は、その前に「今夜一晩」「ちょっとそこのコンビニまで」といった言葉が付加されない限りは、普通、「長期的に付き合ってください」という意味である。つまり、人は交際を申し込む時、

「この世知辛い世の中にあって、自分の価値を見失うという本能的な恐怖から、あなたを継続的に守りましょう、だから長期的に私だけのものでいてください」

という取引を、知らず知らずの内に申し込んでいるのである。ここで、その存在価値を唯一のものとして保証するということは、自分にとって同等またはそれ以上の価値をもつ第三者の存在はないものとみなす(=関係を結ばない)ということである。言い換えれば、そういう第三者の存在を探す自由を放棄して、私はあなたの価値を恒常的に保証しましょう、だから私だけのものでいて(=あなたも自由を放棄して)ください、というのが交際を申し込む際の根底にある交換条件である。そして交際を申し込まれた側は、その相手による存在価値の保証が、自分の自由を放棄するに相応しいか否かを判断し、答えを出すのだ。

他の第三者と関係をもつという互いの自由と引き換えに、互いの存在価値を継続的に保証し合うという契約――

これが、恋人たちの間で無意識に取り交わされる、暗黙の合意の実体ではないのかと私は考える。正常な精神活動を営む人間であれば、己の存在価値が揺らぐこと、その本能的な恐怖について疑いをもつ者はいない。従って、恋人たちは存在価値の継続的な保証が、自由を犠牲にした交換条件となることについて何らの疑問をもたずに受け容れ、互いに快楽を与えながら、利害の一致を維持しようと努めるのだ。

 ところが、ここで一方が浮気をした場合、浮気された側は一次的にせよ、その浮気相手と「同列もしくはそれ以下に扱われる」という状態が生じる。たとえ、肉体だけのつながりの遊びであったとしても、浮気された側が、セックスという行為自体が唯一の存在のみに許されるものだという認識をもっているならば、その浮気相手と同列に扱われたという、感情的な解釈が成り立つ。

 その結果、浮気された側は「相手にとって唯一の存在であること」で維持されていた部分の自分の価値が大きく揺らぎ、強い不安感が生じる。浮気された側の怒りは、契約を破られ、自己の存在価値を不当に揺るがされたという事実に対してのそれであり、浮気した側の後ろめたさは、契約を反故にし、相手に本能的な恐怖を与えてしまったことへの罪悪感によるものである。

――というのは自分の感情から分析した説に過ぎず、浮気をされて怒りを感じるという心の動きは、自分の存在価値に関すること以外にも議論の余地はありそうである。

しかしこの説に基づいて、ガチンコ晩餐会で、ぱっと見プライドなさそうな男女が互いの浮気について責め合っているのを見ると、どんな人間にも、自らの存在価値にこだわる自尊心というものは等しく備わっているのだなと感心する。一見、相手を愛しているからこそ浮気を責めるように思えるが、自己の存在価値を損傷されたことによって怒っているとすれば、それは相手への愛ゆえというよりは自己愛によるものに他ならない。自己愛の塊同士がぶつかり合うからこそ、恋はいきいきとして楽しいのかも知れないが。


2002.10.04

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