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2007年01月
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1月5日 「スイッチ」

「リハビリしましょう!」
「し・ま・せ・ん!」
「どうしてそんなにイヤなんですか!」
「イヤなもんはイヤっ!」

 昨年担当になったミズノさん(仮名)との戦いは続いている。
私も今年のスローガンとして「やる気のない人にも良質なリハ」を掲げた以上、これまでのように簡単には引かない。毎回、押し問答を繰り返して既に4日目。まだ、リハビリらしいことは何もできていない。

 こんなにも関わりが難しい人は、臨床に出て以来初めてかも知れない。これまでも、リハビリを拒否する患者さんはいたが、その度になだめすかして何とかなってきた。しかし、今回は手強い。何故なら、単なる意欲の低下だけでなく、ミズノさんの拒否の背景には根深い猜疑心が横たわっているからである。

「私はね、一度人に騙されてから誰も信じない。私のことは全部息子が決めてるの。私が勝手に決めたら息子に怒られる。だからリハビリやらそんなことは、全部息子に相談して下さい。私に言わんといて……」

これがミズノさんの決まり文句である。過去に何か詐欺にでも遭ったのか、ミズノさんの言動には他人に対する強い不信感が見て取れる。何を言っても、「息子に相談してくれ」の一点張り。かと言って、息子さんの依頼を受けてリハビリに誘いに来ているのだ、と言っても全く信じず
「息子に相談して下さい。私は何もわからない」
と言って目を閉じて横になってしまう。あまりしつこくすると、手で押しのけられる。認知機能の低下も大いに影響しているのは疑いないが、この人のイヤイヤには、過去と複雑な家庭の事情が絡んでいるように思われた。

 ミズノさんが態度を豹変させてリハビリに応じるのは、息子さんが見舞いに来ている時のみだ。PTの時間は大概、息子さんが面会に来ているために、ミズノさんは人が変わったようにすんなりと誘いに応じ、せっせと平行棒内を往復する。多分、息子さんの見守りに安心するためだろう、この人とはリハビリをやっても騙されないのだ、と。

 私が誘いに行く時間は息子さんのいない時ばかりなので、冒頭のような押し問答になる。4日目になって私もいい加減嫌気がさし、どうしたものかと思いながら一旦下がった。正攻法での説得は多分、この先も無意味だという気がした。

 うんざりしながらカルテを書いていたら、ミズノさんの部屋からナースコールが鳴った。行ってみると、トイレに行きたいとのことだった。先ほど押し問答をした私のことは、すっかり忘れているようだ。4日押し問答しているが、いつ行っても私は初対面の扱いをされる。遣る瀬無いことだが、この場合はそれは幸いした。

 トイレ介助のついでに、立位でのズボンの上げ下げの練習でもしてもらおうと考えた。訓練とは言わない。さりげなく自分のできることをやってもらう。そんなことを考えながら介助していると
「リハビリって、した方がええんかなあ……」
耳を疑うような言葉が聞かれた。

「もちろん、した方がいいと思いますよ。ちなみに私はあなたの担当なんですけども」
「ああそう、なあ、正直に言うて」
「はい?」
「本当にリハビリした方がいいと思う?自分の利益とかそんなん抜きにして正直に言うて」
「リハビリした方が絶対いいですよ。ミズノさんがリハビリしてもしなくても私の利益にはあんまり関係ないですけどね、まあミズノさんが元気になってくれることが、私の利益と言えばもちろんそうですが」
「そうか……リハビリってどんなことするの」
「歩きやすいように脚をマッサージして関節をほぐした後、歩く練習とかですね」
「お金いくらかかるの」
「お金は入院費と一緒にいただいてるのでかかりません」
複雑な診療報酬システムの説明などは、ここでは不要と思われた。

「息子に怒られへんかなあ」
「むしろリハビリしない方が怒られるんじゃないですかねえ」
「どこでするの」
「上の階のリハビリ室です」
「ちょっと覗くだけ……」
「行ってみますか」

 私は複雑な思いで、ミズノさんの乗った車椅子を押してエレベーターに向かった。
この人も、リハビリの必要性については何となくはわかっているのだろうか。
過去に何があったのか知らないが、直近の記憶はすぐ無くしてしまうこの人に、こんなにも根深い不信感を与えるほどのインパクトのある出来事って何なのか。そして、こんなにも「怒られる」ことに怯えさせる息子って、これまでどんな扱いをしてきたのか。

「お金はいくらかかるの」
リハ室について、寝台に横になるように勧めても、まだミズノさんは私を半信半疑の眼差しで見ていた。
「お金はかからないんですよ。何か息子さんに言われたら、私の名前を出して下さい。丘って人に勧められたって言えばいいですよ。私が出て行きますからね。もっとも、息子さんに依頼されてやってますんで、何か言われることはないと思いますよ。何も心配することないですよ」
ようやくミズノさんは横になってくれ、私は初めてリハビリらしいことを行うことができた。そして最終的には、「これからもよろしく」と握手すら求められたのだった。

 ミズノさんの例を通じて感じるのは、こういう人の場合、その人の生活の中の文脈に沿った関わりをしなければ、受け容れてもらうことが難しいのだということだ。
トイレ介助という、その人が明らかに求めていることをする。そうした関わりを通じて会話の糸口を見つけていくほかない。何も求めていないところへ、「リハビリしましょう」と誘っても、それはその人の必然からは大きく外れているのだろう。従って強い拒否となって表れる。

 今回、握手を求められたからと言って、次の日に同じように「リハビリしましょう」と誘っても、多分ミズノさんは応じてはくれまい。私のことも恐らく記憶していない。また、トイレ介助をしたからと言って、今日のようにリハビリしようかという気になるという保証もない。従って、過度な期待は禁物だが、少なくとも
「リハビリした方がいいと思う?正直に言うて」
という問い掛けからは、本人が心の底ではリハビリの必要性を理解していることは覗えた。私はそれだけでも活路は見出せた気がしている。

「どうもありがとうございました」
歩行訓練を終えて、ベッドに腰掛けたミズノさんは私にゆっくりと頭を下げた。
私はほっとする一方で、それで喜ばないことにした。人の心にはいくつかスイッチがある。今のミズノさんは多分、元々持っていた礼儀正しい人格のスイッチが入っただけで、私がたまたまそれを押せただけだ。次も押せるとは限らない。
拒否のある患者さんは、そういう意味で信じてはダメだ――そう思いながら病室を後にして、私も人を信じてないところがあるなと気付いた。




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